13Jul
「目が見える」という、普段当たり前に思っていることは、実はすごいことなのだと知りました。
「当たり前のこと」なんて、ひとつもないのかもしれませんね。
突然ですが、テレビはよくご覧になりますか?
yukiは普段、テレビを全く見ないのです。(というか、持っていない)
もう8年くらいは全くテレビのない生活をしていて、見るのは実家に帰ったときに両親がつけている天気予報くらい。
(yukiの両親は、なぜかテレビで天気予報を見るのが趣味(?)なのです。もう明日の予報を知っているじゃない! という時も必ずつけています。)
ーーなのですが、少し前のこと、久しぶりにテレビを見る機会がありました。
スマホに、テレビが見られるアプリがついていることを初めて発見しまして。
それで試しにつけてみたら、なんと、「目」がどのように出来たかについての番組がオンエアされていたのです。
すごい偶然♪♪
「視力」は植物からやってきた?
今まで、目という器官がどのように出来たかなど考えたこともなかったのですが、そこで紹介されていた内容は、意外なものでした。
以下、細かい表現は正確ではないと思いますが…
* * *
原初的な動物(アメーバ的な生命体)が海に住んでいた。
その生物には目というものがなく、光を感知するセンサーも持っていなかった。
けれども植物(プランクトン)は、光合成をするための光センサーを持っていた。
光センサーを持っているプランクトンを、アメーバ的な生命体が食べていて、
ある時偶然、光センサーをキャッチするための遺伝子が生殖細胞に取り込まれDNAの中に組み込まれた。
それで、光(明暗)を感知できるようになった。
(でも、その段階では明暗のみで、今のように精密に対象を捉えられる目ではなかった)
その後、突然変異的に、すべての遺伝子が4倍になるような変化が起こった。
そのため、色々な複雑な器官が作れるようになった。
網膜の「光を感じる細胞」は1億個になり、現在の私たちのような、1800種の遺伝子が使われた”カメラ眼”ができた。
* * *
ーーそんなような仮説でした。
もしも、目が存在しなかったら?
そのとき思ったのは、
「もしその話が本当だとして、もしも突然変異が起こらなくて、人間が目を持たないままで進化した生物だったとしたら、どういう感じなのだろうか?」ということでした。
もう皆目見当がつきませんね。
原始時代の人間の暮らしを考えてみても、
物の位置を目で見定めることができない訳だから、獲物を見つけて追いかけることもできないし、
しかるべき場所に種を植えて、月の満ち欠けや星の動きで季節をはかりながら育てていくこともできない訳です。
生き延びることができずに滅びてしまったかもしれませんね。
そもそも、人間になる前に、原初的な生物のままで滅びてしまったかもしれませんし…。
(「脊椎動物は、目と顎のおかげで成功したのだ」とその番組では言っていました。
だとしたら、それがなかったらさっさといなくなっていたかも?)
何かまったく別の姿の生物になっていったかもしれませんし…。
目が見える奇跡、目が疲れる奇跡
以前、「ロシアの目が見えない少女が、指で色をキャッチできる感覚を身につけ、紙に指をすべらせて ”文字を読む” ことができる」ということを本で読んだことがあります。
yukiは鍼灸の資格を持っていますが、
鍼灸は以前は目が見えない方々が仕事にするものという部分があったので、目が見えない凄腕の先生がいらっしゃることも知っています。
(でも、実際に自分で鍼灸をやってみると、「これを目が見えずに行うって神業!?」と思っちゃいますね…。)
人間の能力というのは本当にすごいもので、どんな人でも、持てる能力の1割も使わずに生きていると言われていますね。
もしも人間に進化したあとの今の私たちに目が無くなったならば、
それはそれで別の感覚を発達させて、また別の社会を作ってゆくのかもしれません。
昔、「ガラスの仮面」という漫画で、
ヘレン・ケラーの演技をすることになった主人公が、ずっと目隠し&耳栓をして、誰とも話さずに過ごすというエピソードがありましたが、
yukiも感覚訓練のために、できる範囲で目隠しして過ごした時期がありました。
(触覚とか第六感的なものが敏感になりましたよ!)
そうして考えていくと、やはり今は「目」「視覚」に頼りすぎの毎日と言えるのでしょう。
よく、「今日は目を使わないでゆっくりしてくださいね」とお声をかけると、
「何をして過ごしたらよいか分からない」と言われることがあります。
もちろん必要だから目を使うということもありますが、
隙間時間についスマホを見る習慣がついていたり、
いつしか「目を使い続ける」ことが当たり前になってしまっているのだなーと思います。
「目」は大脳に直結しているためか、視覚には思考がつきまといがち。
目で見たものを「ただ見る」ということはできづらい。
無意識的に、見たものをジャッジしたり、それにまつわる過去の記憶を引っ張り出したり、頭が忙しく働きやすいです。
「人間に目がある」「今、目が見える」という奇跡に感謝しながら、
時には「目」との付き合い方を見直して、
視覚に頼らない時間、視覚以外の感覚も豊かに使っていく時間を、日常の中に作っていきたいと改めて思ったひとときでした。
目があることが奇跡なら、目が使えること、目が疲れることも奇跡ですね!
しかも、目の疲れを自分で解消できるということも素晴らしい。
今日もしっかり目を使いましたので、感謝とともに目のケアをして休みたいと思います。
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