3Jun
目の疲れが回復するってどういうことなのか、目の疲れを取ってどうするのか、ということを少し考えてみます。
くたびれて帰ってきて、温かいお風呂に入りました。
お湯の温かさがじわーっと浸透してくる中で、思い出したことがありました。
震災の年、少しお手伝いに行った時のこと。
一日中動き回って、辛い人をみて自分も辛くなって…
ほんの数日間のお手伝いだったのに、軟弱な私は心身ともにキツくなってしまい、数日ぶりにお風呂に入れるというので甘えさせて頂きました。
どこかの施設の駐車場に応急的に建てられたお風呂小屋。
すでに冷めきったお湯で、追い炊きボタンがどこにあるのか(&そもそも機能するのか)もわからなかった。
なので、体温よりもぬるいくらいのそのお湯に浸かりました。
季節柄、東北の夜はまだ寒かった。
すると!!
なんと、お湯に浸かった瞬間から、縮こまっていた足の指がぐわ〜っと伸びて、腕の疲れも抜けて、ショボショボしていた目や、頭の疲れも回復して、
結果として、すっかりリフレッシュしてしまったのです。
あんなにぬるいお湯だったのに、私の体は「待ってました!」とばかりにそれをきっかけに使って、元気になってしまったのですね〜。
人生で一二を争う「驚いた経験」だったかもしれません。
その時は、短い日数なのに倒れている場合じゃない! やることは全部やって帰るんだ、と必死でした。
火事場の馬鹿力といいますが、非常時には思いがけない力が発揮されるもの。
でもその力は、本当はいつも持っているはずですよね。
いつもは隠されているのかもしれないけれど、「ある」からこそ、何かの折に出てくるのですよね。
普段、こんなに目を使って大変だから、ケアする時間もなかなか取れないから… と、つい言い訳しがちな今の私の中にも、あの日「ぐわ〜っ!」と変化した、驚くべき回復力は本当はある。
それに、こんなに温かいお風呂もある。シャワーだってある。
温タオルをつくるためのタオルもお湯までもある。
もっと速やかに回復してもいいんじゃない? 私。
そうやって考えていくと、本当に必要なものは、今あるものに感謝する気持ちと、
目の疲れを回復させて、元気になって、それでどうしたいのか? ということなのかもしれないと思いました。
心からの情熱を向けて、「これをやりたい!」「これをやっていくんだ!」というようなこと。あるいは、「自分が元気になることで、人をも元気にしていくんだ!」というようなこと。
そう、発災から間もない被災地にいた時のように。
自分の方向性をわかっているようでいても、こうして時折振り返ると、ふと錆び付いている部分があることに気づいたりします。
今あるものに感謝して、心からの情熱を注げるものをいつも確認して、
目の疲れも心の疲れも速やかに手放して、日々全力で生きられる自分でありたいと改めて思いました。
目の疲れを解消して、明日もよい1日を☆
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