22May
寝ても取れない目の疲れに悩んでいた yuki です ♪
今日もご訪問、ありがとうございます!
今回は、そもそも「手当て」とは何なのか? について書きますね。
今日も一日お疲れさまでした♪
雲はありましたが、晴れて清々しい気候でしたね。
気候がいいと、それだけでささやかな幸せを感じられるのが有難いです。
ところで、目の疲れをはじめ、何かの時には
「手を当てる」ことがとても有効なので、
このブログでは「手当て」について色々と書いてきたのですが、
先日、たまたま「手当て」を画像検索したところ、
「消毒液」「絆創膏」「包帯」といったあたりが定番で、
そうか、「物を使ってケアする」というイメージなのだなぁと改めて思いました。
(「傷のお手当て」とか、「骨折の手当て」とか、たしかにそうですよね…)
マクロビの先生をされていた友人からは、
里芋パスタ―とかこんにゃく湿布とか、物を使うイメージがあると。
こちらも「なるほどー!」でした。
里芋パスターもこんにゃく湿布も、私もたまに行うのですが、
手間はかかりますけど気持ち良いのですよねー。
「手当て」は、文字通り「手を当てる」ということが原義だと思うのですが、
お腹が痛い時に、思わずお腹に手を当てる、
子供さんがうずくまって泣いている時に、ふと背中をさすりたくなるーー
そんな風に、本能として誰でも持っている力(というか、要求というか)なのです。
なぜ、手を当てるのか。
ーーそれは、手を当てることで楽になることを知っているからだと思うのですよね。
本能として、「手当て」の力が備わっている、
それは人間ならではの本能なのだ、と言われています。
(猫ちゃんだと、ぺろぺろ舐めたりすることはあっても、
たしかに手を当てている姿ってあまり見ないですものね…)
なぜ、手を当てると楽になるのか、変化があるのか、
それは、私には理屈で説明することができないのですが、
「生きている」とはそういうことなのだ、と思っています。
誰にも教わったわけでなくても、今、こうして心臓が動いている。
擦り傷ができたら、何もしなくても自ずと治癒していく。
「生きている」とは、自己調整能力(=自然治癒力)があるということ。
自ずとよりよくなっていく力が元からあって、
(その力が敏感になったり鈍ったり、その時々、あるいは人によって違いますが、
あるか無いかといったら、厳然として「在る」と思います)
「手当て」をすると、
その力がサポートされて、より発揮される。
とても不思議で、ありがたいことです。
手を当てると、もともとある力がパワーアップするし、
「手当て」することに慣れれば慣れるほど、
効果が出やすい、とても便利な「魔法の手」にもなっていく。
さらに、
「手当て」よりも、もっと強い刺激が欲しい!
(鈍っている場所や、疲労の激しい場所は、手当てだけでは足りない場合もあります)
ーーという時には、
「温タオル」で温めるのがとても合っているでしょうし、
「それでも足らない!」という場合には、
数十分から数時間行いっぱなしの「湿布法」をすると、大きな変化を喚起できます。
(こんにゃく湿布、里芋パスター、その他)
そしてまた、「手を当てる」ことの延長として、
絆創膏や消毒薬を使うことも、「手当て」と呼ばれているのだと思います。
ともあれ、何かケアをするときには、「手を当てること」を原点としたほうが、
少ない刺激で変化できる「敏感さ」を育めますし、
「自分の力で変化する」パワーが損なわれないので、一番おすすめです。
(外から加わる刺激は、なんでも続けるごとに慣れてしまって、
より強い刺激を求めるようになったり、
体が鈍ったり、もともと持っている働きが怠けてしまったりしがちですので。)
そして、もっと言えば、
「手当て」だって、別にいつもいつも必要な訳じゃない!
何もしなくったって、私たちはもともと「元気」な存在なのだ。
そこを基盤にして生きていたいと思っています。
とはいえ、現代の生活はあまりにも「目の疲れ」が慢性化しやすいので、
もともとの「元気」を感じるためにも、
目を使ったらケア! というのは、習慣にしていきたいところですね♪
目の疲れを取って、明日もよい1日を☆
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