はじめまして、yukiです
皆様はじめまして。
目の疲れ解消セラピストのyukiともうします。
ここでは、私が「目の疲れ」というニッチな(笑)ジャンルに着目してブログまで書くようになったいきさつを書かせて頂きますね。
読み書き大好き!だった子供時代
子供の頃から、「物語を書く」ことが大好きでした。
幼稚園の時には拙いイラストを添えた「クルクルパー物語」というものを綴っていた記憶があります。
(引越しで無くしてしまったので残念!)
小学校時代は友人との交換日記にはまりましたが、「日記」ではなく「物語」を交換。
つまり、私のノートと友人のノートをそれぞれつくり、自分のノートに自分の物語を綴って、ノートを交換して友人の物語を読み、またノートを交換して自分の物語を綴る…。そんな形の連載(?)をしていました。
内容は何か海を漂流する冒険ものだったような…。
読書も大好きで、気に入った本を繰り返し繰り返し読んでいる子供でした。
引っ込み思案で友達も少なく、運動能力も高くはなく、子供心にもお絵描きの下手だった私にとって、「読む」「書く」ということが一番の友人だったのかもしれません。
目が悪くなる必然
そんな私が目を悪くするのに、さして時間はかかりませんでした。
ひとつのきっかけは、小学校高学年の頃。
当時は「9時消灯」と決められていて、時間を過ぎて電気をつけているとすぐ両親に分かってしまう環境だったので、いつしか布団の中でこっそりと、懐中電灯ひとつを頼りに「交換日記」の執筆に勤しむことに…。
毎晩そんな生活を続けるうち、小学校6年生の頃から目が悪くなり、「仮性近視」の診断を受けました。
その時は、両親がいろいろな健康法を知っていたので、そのうちのひとつを試すことでなんとか視力が回復。
ただ、交換日記を卒業した中学2年の頃に「眼鏡使用」の宣告を受け、その後は一進一退を繰り返しながら、視力は0.02まで落ちることになりました。
その後、思春期を通じて、目だけではなく体も悪くし、体と心を見直すうち、セラピストを志すようになります。
「視力」は数値だけでは測れないという気づき
セラピストとして活動するうち、自分自身、様々な視力回復法を学びました。
実際、視力も0.02から0.1程度までは回復。
ただ、あまりにも強度な近視になってしまったため、眼鏡が要らないところまでの回復は現時点では望めていません。
そんな中感じたことは、数値としての「視力」と、自分が感じる「視るちから」には、時にズレがあること。
視力が低くても、「視るちから」が無理なく楽に発揮されている状態を目指せば良いのではないか? と思い至りました。
そして、「視るちから」を楽に発揮するための一番の敵は「目の疲れ」であることにも改めて気がついたのです。
目の疲れを解消すると、体も心も本当に別人のように楽になることを、日々実感しています。
現代人の健康の最大の敵は「目の疲れ」!?
セラピストとして、相手の方の体や心を元気にしていくお手伝いをする時にも、「目の疲れ」が壁になっていることが本当に多いことを実感します。
おそらく今は、8割以上の方には、最初に「目の疲れ」を取る施術をしたり、「目の疲れ」を取る方法をお伝えしていると思います。
目の疲れは頭や首の緊張となり、肩こりにもつながり、腰をこわばらせてやる気を失わせる…。
骨盤の開閉も悪くなり、婦人科疾患にもつながりがちです。
当然、気持ちにも余裕がなくなりやすい。
今はスマホもパソコンも普及して、一般的な生活をしていると「目の疲れ」がもれなくついてきてしまいます。
10年前とは比べものにならないくらい、目を酷使する生活を日々繰り返しています。
現代人から「目の疲れ」を無くしたら、頭もすっきり、首もゆるんで、肩の力も抜け、ちょっと嫌なことがあっても手放せる心になり、イライラ度合いが減り…
私自身、目の疲れが少ない時にはとても大らかな人になれるので、
みんなの「目の疲れ」が解消したら、世の中とても平和になってしまうのではないか!? とすら思います。
そうは言っても、目を使うことは楽しい!
とはいえ、私自身、今でも目を使うことは大好き!
こうしてブログを書くことも、文章を書くことも、ネットサーフィンすることも、本を読むことも、生活の楽しみとして手放すつもりはありません。(笑)
そもそも、人間として生まれて現代を生きている以上、目や頭を使うこともまた自然とも言えるのではないでしょうか。
何事もバランスですから、過剰になっている「目の疲れ」を取ることで、自分にとってより心地よい「目の使い方」ができるはずです。
そんな心地よい生活づくりに役立てて頂けるよう、いろいろな情報を発信していきたいと思います!
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